
イズミット は コジャエリ 県の県庁所在地で、イスタンブールと高速道路でつながっています。イズミットはローマ時代にはニコメデイアという名で知られていましたが、現在は豊かな産業都市となっています。サアッチ・アリ・エフェンディ・コナックは18世紀の典型的なオスマン様式の館ですが、現在は修復されて民族博物館になっています。ピシュマニエは砂糖の薄い層が幾重にも重なったお菓子で、この地方の特産です。
イズミットの東にある サカリヤ(アダパザル) は、地域の農業と産業の重要な中心都市です。この肥沃な土地には サカリヤ川が流れ、豊かな果樹園や畑が広がっています。 アダパザル にはアタテュルク民族博物館があり、この地方の工芸品とともに、トルコ共和国の建国の父アタテュルクの遺品が展示されています。ベシュキョプリュ橋は、553年にビザンチン帝国のユスチニアヌス帝によって建設されたもので、全長429メートル、8つのアーチが連なる美しい橋です。数キロ行ったところに サパンジャ湖があり、静かなレストランやホテル、別荘が湖岸に立ち並んでいます。
ニカエア と呼ばれていた イズニック の町は、イズミットの南にあるイズニック湖の東端に位置しています。この町は紀元前316年にアレキサンダー大王配下のアンティゴノスが建設し、リシュマコスが後継して妻にちなみ『ニカエア』と名づけました。のちにビテュニア王国に降伏し、紀元前128年にはローマの属領になりました。ローマ時代とビザンチン時代には重要な町として栄えましたが、1078年にセルジュク朝に、続いて1331年オスマン帝国に征服されました。ローマ劇場を建設(249-251年)したのはトラヤヌス帝です。イズニック湖畔にはローマ上院議会が建ちました。現存する門は 4ヶ所で街の中心には聖ソフィア大聖堂の跡があり、325年に開かれた第1回全キリスト教会議(ニカエア公会議)に召集された司教や聖職者たちの姿をほうふつとさせます。第2回公会議は偶像破壊をめぐり785年に召集されました。イズニックはキリスト教世界ではエルサレム、エフェソス(エフェス)、バチカンと並び立ちました。イズニックは16世紀から17世紀は、非常に優れた陶磁器生産の中心地として栄え、陶磁器はトルコの各地にあるモスクや宮殿の装飾として使われてきました。この街の博物館には近郊の遺跡からの発掘品が展示されています。市街に数ある重要なイスラム建築の中でも、トルコ石のタイルで飾られたイェシル・モスクとニリュフェル・ハトゥン・イマーレットハーネシは必ず訪れてみてください。じっくりと見物したら湖畔にあるレストランでおいしい料理を味わいながらゆったりとした雰囲気でくつろいでみてはいかがでしょう。イズニックから5キロメートルのエルベイリ村には5世紀のカタコンベとカシアス・フィリスクス由縁の高さ15.5メートルのオベリスクがあります。